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武満徹 1930年10月8日、東京生まれ。 父の転勤で日本を離れのちの1937年に帰国、本郷で幼年期を過ごす。 音楽に興味を持ち始め、1948年、17歳の頃から神田にある古賀書店で戦前の 楽譜収集に励むようになり高校を卒業後、清瀬保ニに師事したが、殆ど独学で音楽を学ぶ。 のちに新作曲派協会の発表会などに参加を続け、1951年に鈴木博義、湯浅譲二、秋山邦晴らと 『実験工房』を結成、海外の実験的な音楽を紹介。 日本を代表する現代音楽作曲家として海外での評価も高められていった。 それから1954年に若山浅香(元劇団四季)と結婚。公私共に充実し始める。 2年後の1956年には、実験工房の活動と平行しながら、『月曜日のユカ』の監督として、 最近の若世代にも注目されている中平康監督による『狂った果実』の映画音楽を手掛ける。 以来映画音楽、そして実験工房など意欲的に活動。 勅使河原宏、篠田正浩、大島渚、中村昇、そして早坂文雄亡き後、殆どは佐藤勝が引き継ぐが、 黒澤明監督の映画音楽も2作手掛けている。 ちなみに、デビュー作とされている『狂った果実』よりも前に『北斎』(1952年 未完)という 映画の音楽を作曲しており、幻の映画として、映画ファンからは知られている映画もあります。 1994年の『写楽』(篠田正浩監督)を最後に、1996年2月20日、癌により東京都内の病院で死去。 享年65歳。 |
軽く経歴に触れましたが、『実験工房』での活動より、映画音楽家としての武満徹に触れてみたいと思います。
武満徹は、大の映画好きで年間200本程(本人曰く晩年は『山にこもっていたので年間150本位』)、
見ていたそうです。映画音楽を作るにあたって、映像、シナリオ、カット割りなど全て
踏まえてから音を作る、といった姿勢(いわゆるフィルム・スコアリングと言いましょうか)
を崩さず、映画を際立たせる音作りをした、素晴らしい作曲家だと思います。
その眼力、聴力を磨くのに、数多くの素敵な映画に出逢うことが、武満徹の
音楽の枠を広げた要因とも考えられます。映画への情熱、作品に対する思い入れなどが
深かった武満徹だからこそ、あれだけの素晴らしい作品が、何十年経った今でも色あせず、
新鮮に聞こえ、そして映画を見れば、その音楽も一緒に残像として残さているのでは、と思います。 日本映画界にとって武満徹の死は、余りにも大き過ぎるのは、言うまでもありません。 現在CDで聴くことのできる音源は、全て作品集、ベスト盤、武満自ら選曲した作品集などだけです。 監督とのコラボレート作品が多いので、作品集も同監督の作品からそれぞれ選曲したものが 発売されていますが、各アルバムごとに、触れてみたいと思います。 |
そして、日本の映画音楽を集大成したシリーズ『武満徹の世界』が再発売、
という嬉しいニュースです。映画を愛し音楽を愛し続けた武満徹は、
まさに日本映画の歴史上、欠かせない人物なのです。映画音楽という枠にとらわれず、
その映画に対する思い入れで音を作るというスタイルだった武満の死は大きいです。
傑作『どですかでん』、『儀式』などから厳選された1枚。
また今回は『写楽』が特別に追加収録されています。 96年2月20日、日本のみならず世界からも常に注目を集めていた著名な作曲家 武満 徹氏は亡くなられました。 |