1923年ニューヨークのマンハッタンに、ギリシャ移民であるカロゲロプーロス家の
第3子として誕生。本名は長いもので、マリア・アンナ・チェチーリア・カロゲロプーロス。
母親の教育によって音楽のイロハを教えられる。
1937年ギリシャに渡りアテネの国立音楽学校に入学。
1939年“カヴァレリア・ルスティカーナ”の学生公演で主役サントゥッツァでデビュー。
名歌手エルビラ・デ・イダルゴのレッスンを受けるようになります。
その後はアテネ歌劇場での“トスカ”で大成功。
1945年アメリカに渡って父親と再会し、しばらくのあいだ一緒に暮らします。
1947年実業家メネギーニと出会うほか、知己を得たセラフィンの指揮による“ジョコンダ”で
イタリア・デビューを果たし、12月には“トリスタン”にも出演。
1948年“トゥーランドット”“運命の力”“アイーダ”などを歌ったほか、
フィレンツェでは“ノルマ”を歌いベルカント・オペラ復興のスタートを切ります。
1949年1月に“ワルキューレ”“清教徒”を交互に歌うという快挙を成し遂げ、
2月から3月にかけては“パルシファル”のクンドリー役まで歌います。
4月に前出メネギーニと結婚、翌月には南米公演に出かけ、“ノルマ”、“アイーダ”、
“トゥーランドット(CDには抜粋収録)”に出演。
11月にはフォニット・チェトラと初のスタジオ録音。
12月にはナポリで“ナブッコ”のアビガイッレを歌う。
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1950年レナータ・テバルディの代役(アイーダ)として、4月にミラノ・スカラ座デビュー。
翌月にはメキシコ公演(“ノルマ”“アイーダ(CDには抜粋収録)”“トスカ”“トロヴァトーレ”)を
おこない、10月に はローマで“イタリアのトルコ人”に出演。
1952年スカラ座で“ノルマ”に初めて出演。2月にトリノでリサイタル。
4月には“後宮からの逃走”を歌い、直後にロッシーニの“アルミーダ”で絶賛。
5月から6月にはメキシコ公演をおこない(“清教徒”“リゴレット”)、
9月には初のスタジオ全曲録音をおこない(“ジョコンダ”)、11月にはコヴェントガーデンに
“ノルマ”でデビュー。
12月にはスカラ座のシーズン初日をデ・サバタ指揮する“マクベス”で飾るなど
華々しい活躍ぶりをみせます。
1953年フィレンツェでの“椿姫100周年記念公演”に出演。
1954年スカラ座でカラヤンの指揮により“ルチア”を歌い空前の大成功。
4月、同じくスカラ座でジュリーニ指揮による“アルチェステ”とヴォットー指揮
による“ドン・カルロ”に出演。4〜5月、“ノルマ(EMI)”録音。5〜6月“道化師(EMI)”録音。
8月、“運命の力(EMI)”録音。8〜9月、“イタリアのトルコ人(EMI)”録音。11月、
シカゴのリリック・オペラでアメリカ・デビュー(“ノルマ”“椿姫”“ルチア”)。
12月、スカラ座シーズン開幕公演でヴィスコンティ演出による“ヴェスタの巫女”に出演。
1955年スカラ座で“アンドレア・シェニエ”を歌う。デル・モナコ不調による
“トロヴァトーレ”からの変更演目で、カラスは5日間で役を覚えています。
3〜4月、同じくスカラ座でバーンスタイン指揮ヴィスコンティ演出により
“夢遊病の娘”を歌って大成功。
5〜6月、ジュリーニ指揮ヴィスコンティ演出の“椿姫”で伝説的な成功を収めます。
8月、“蝶々夫人(EMI)”と“アイーダ(EMI)”を録音。9月、“リゴレット(EMI)”録音。
9〜10月、ベルリン・フェスティヴァルへのスカラ座引越し公演で、カラヤンの指揮により
“ランメルモールのルチア”を歌って成功を収めます。
10〜11月、シカゴ・リリック・オペラでの公演(“清教徒”“トロヴァトーレ”“蝶々夫人”)。
12月、スカラ座オープニングの“ノルマ”に出演。
1956年スカラ座で“ノルマ”“椿姫”“セビーリャの理髪師”に出演。
5月、同じくスカラ座で“フェドーラ”に出演。6月、ウィーンでのスカラ座公演で、
カラヤン指揮により“ルチア”を歌う。
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